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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

雲南麗江へ


雲南麗江のモニュメント

麗江と言えばこの水車。
この水車は雲南の中でも大きい部類に入り、何と言っても
1997年に麗江が世界遺産に認定されて、その当時の
中国主席の江沢民が1999年に直筆のモニュメントが
ここを不動のものにした。

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その1999年に設置されたモニュメント。
麗江に来ると先ずここに降り立つ。

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この角度からの画像は少ない。
水車を横から見て、観光客の動きを収めた。

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麗江の司祭

雲南で有名な司祭の人で本にも紹介されているほどである。
納西(ナシ族)の宗教的な儀式を司る男性のことで
チベット仏教の影響を受けているのだろうか?
仏教でも大乗仏教ではなく小乗仏教であろう。

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麗江四方街中心より150mほど歩いてきた大通りから
左にそれ、人ごみを逃れ撮影した柳と水路。

麗江で水路を外せば語るものが無い。と言っても
過言ではないだろうか?それほど水路がめぐらされている。

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トンバ文字が描かれた小物で、これも10個ほど購入し
お土産として使った。私の手元には一つも残ってなく、
全てプレゼントに使ってしまった。

プレゼントだけで5キロあったが、それでも管理者全てに
行き渡らずに彼女達が喧嘩して困った。こんな事なら
お土産は何も購入しない方がと思ったりもした。

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麗江古城「客棧(ke4zhan4)」

麗江古城水路際に作られた「川菜」ここにも「客棧」と
書かれてある。客棧(ke4zhan4)とは宿屋・木賃宿の意味と
思っていたが、食事処との意味合いもあるようである。
しかし、「有空房(空き部屋あり)」やはり宿屋?

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この時は、既に自由行動に入っていた。
ツアー客と一緒の場合は、のんびりと見て回れない所が多い。
集合時間の4時までの自由行動時間の1時間半は瞬く間に過ぎた。
大通りへ出て、道路の左端より画像に収めた。

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道なりに歩いたが、もう一度「客棧(ke4zhan4)」の
細い道を歩いてみたいと思い先を急いだ。

その途中振り向きざま、橋に「茶館」と書かれた文字に
引かれレンズを向けた左側には背凭れ付き椅子が
置かれてあったがここでは入れてない。

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麗江の提灯(ちょうちん)専門店

麗江の提灯専門店を画像に収めた。
色んなちょうちんが掲げてあった。
形の違うもの、色の違い、柄の違い等、少しの
時間見ていても飽きないのも事実。

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沢山吊ってある堤燈(ちょうちん)と注文で同じ形の
提灯を吊るしたもの、艶やかさはそれぞれ違うと思うが、
私はこれを見たとき精霊流しを思い出した。

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「古道留言」古道を古代の教えと訳し、留言は伝言と訳すが、
このブティックでは、そのまま「古道留言」を店の名前に
使っている。何となくロマンティックな意味合いの名前と思った。
売られているものは普通の身の回りのものだった。

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麗江古城に入る

麗江古城は雲南麗江市で山に囲まれた盆地にあり、
納西(ナシ)族によって建設された都市である。
古城の建築物は木造で、麗江地震の時にも木造の多くが
倒れなかったという事。

古風で素朴な風格は1995年世界遺産に登録された。


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画像は麗江古城入り口の水車。この水路はじめ麗江には
迷路のように水路がめぐらされ、各家をつなぐ
小道は下手に入り込むと一瞬道に迷ったよう。

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水車の左方向に見える道路が、観光順路としては
帰り道(最終)となっているが、ガイドブックを
熟知しているならば、まず自分の行きたい所から観て
まわるのも面白いと帰って来てより思ったりもする。
旅に出る前は研究してから行こう。

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麗江の旧式の旅館

客棧(ke4zhan4)とは宿屋・木賃宿の意味で、
下は吉祥客棧。この麗江古城の道を歩いて行くと至る所、
この客棧(ke4zhan4)の看板と出くわす。
辞書で客棧(ke4zhan4)の意味を引いてみれば、
旧式の旅館と出てきた。

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小松客棧・鹿源客棧とそれぞれ特色を出している。
ある客棧では旅行会社と契約を結んでいてお客さんを
団体でお連れしてお茶を購入して頂こうと、
観光地化されてしまった。
私も客棧の中に入ってお茶の入れ方を聞いた。

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その団体客に混じって日本人ひとりぽっちの行動であり、
皆さんとのズレが生じてしまい、この日のお茶の入れ方に
遅れていった。日本人がまたどっかへ行ってしまったと
伝えてあったらしく中に入ると拍手された。
そしてお茶を立てている娘さんから、日本人のルーツは
チベット族だと語ってくれた。

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麗江古城酒場の赤提灯

麗江古城水路は古城の至る所にめぐらされている。
一人で歩いていると一体自分が、今何処に居るのかも
分からなくなるほど、同じような道、同じような
水路が綿々と続いている。

この3枚の画像はほぼ同じ位置より撮影したのもであるが、
それぞれの雰囲気が違って見える。

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玉水酒場である。ここに掲げられた「ちょうちん」も
夜になればライトアップで、綺麗なのだろうなどと
思いながら店の雰囲気を確認したりもした。

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水路の上を渡した橋の上に立って、観光客が記念撮影してる。
私の場合あまり人物を入れたくないので、
皆が去る事を待ったが、5分待っても人の切れ目がなく、
致し方なく少なくなったところでシャッターを切った。

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麗江民族工芸店「雨格」

「雨格」という名の民族工芸品専門店の店の前で暫く
釘付けになってしまった。綺麗な装飾品が所狭しと
並べてあった。この旅の空間で見ているからこそ
綺麗に見えるのかな?手に取りやはり衝動買いしてしまった。

まだ旅の途中、荷物になってはいけないと小物を10点ほど
買い込んだが、手作りの品である。

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蝴蝶泉近くの東南亜原始部落入り口門に掲げられていた「男と女の人形」を、
思い出し画像に収めた。同じものを見つけたと思ったが
微妙に違うのだろうか?そして画像の処理が終わり
確認した所、その時の画像のものと全く同じである。

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そして観光客を当てにして作られたブティックなのだろうか?
それとも現地のナシ族の若い人達を相手に商売を
しているのだろうか?ちょっと見分けがつかないほど
カラフルな斬新なデザインのアイテムが展示されていた。

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麗江四方街付近

「橋」という「簡体字」で書かれた珈琲店の看板の説明の為、
橋のトンバ文字だろうか?フルーツポンチの器のような
トンバ文字である。珈琲店にふさわしい
トンバ文字だから使用したのだろうか?画像に収めた。

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麗江の四方街は海抜2280m。トンバ文字と共に
世界文化遺産と登録され、この四方街は道路や水路が
迷路のようになっている。画像はその街の中心地点。

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夜ともなればこの所狭しと吊るされた
「ちょうちん」に火が入るのだろうか。

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麗江四方街から見渡す

麗江四方街から東大街・五一街・七一街と3方向に道が
分かれ五一街方向へ更に進んだ。
今まで撮影してきた画像は人の姿を極力避けてきた。
だが実際に通りへ出て自然に撮影してみると
結構人出が多いと感じる。

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五一街での撮影場所を更に道路の右端に変え、
麗江の街の幅広い道を散策する観光客を撮影してみた。
この辺での撮影が麗江で一番オーソドックスな撮影箇所なのか?
麗江古城を流れる水路その水路に掛かる橋の名は下記に。

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玉龍橋から水路は3つに分かれ、更に5つになり、
その水路に掛かる大きな橋だけでも7つになり、
水路から住居へ渡した橋板は無数になる。道から左にそれ、
柳の木の上にライトアップ設備があり、
夜ともなればさぞ綺麗なのだろう。

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柳が頭を垂れ

麗江の水路の上に柳が頭を垂れている光景は、
ここ麗江ならずとも中国各地の川べりに見られる。
しかし麗江の場合、街全体にこの柳の姿が見られる。

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観光地なら何処にでもある木に焼印で焼いた街の風景。
子供の頃によく集めたペナントと共に集めたのが、
このような木に描いた風景画。今も日本の故郷の
母一人住む思い出の我が家にあるだろうかなどと思った。

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麗江の各道の脇には、色んな商店が並んでいる。
その中でもブティックは数えるほどでしかない。
旅行者が買って帰るのは少ないように感じた。
やはり地元の人達が買いに来るのであろうか。

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麗江五一街興仁段

麗江五一街興仁段の途中にある生地販売店。
昔ながらの小売問屋さんと言った感じの店である。
各お客さんに心を込めて切り売りしてました。
そしてその外観をページにアップした。
「布」の文字が麗江の街にマッチしている。

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路地に入ると、民家の門が開けてあり、
中のサボテンの緑と黄色の門を撮った。

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店の看板には漢字が表示されてなく、
トンバ文字で表示されていた。

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麗江情緒が味わえる

麗江の「客棧(ke4zhan4)」の細い道をもう一度
歩いてみたいと思い先を急いだ。
橋に「茶館」と書かれた文字に引かれレンズを向けた。
この前の更新画像では、椅子を外したが、ここでは
椅子に座ってお茶している所を遠くから撮影。

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急ぎ足で狭い路地まで来た。こちらの方がやはり
麗江情緒が味わえる。藍月谷(lan2yue4gu3)
客棧(ke4zhan4)の名前がいい。
藍色の月明かりが谷を照らす。
麗江情緒はこの古い街並みが落ち着く、
麗江を訪れればここを見よう。

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「麗江白芸豆乳店」看板には
「LIJiang White Kidney Bean Milk」と書かれている。
これは「インゲン豆のミルク」を作っている。
水に漬けた大豆を磨り潰し、加熱して漉(こ)した
白濁液を豆乳と呼ぶがここでは画像だけに留めた。

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中国人と一緒の旅

麗江での画像もあと残すところ3回(9枚)となってしまった。
今回も一人旅ではあったが、中国の人と共に食事をし、
共に観光した事は初めての経験だったが、全くの一人旅で、
中国人に紛れ旅行するのとまた一味違っていた。

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そして、次の旅も中国人と一緒の旅でも良いのではないかと
思いながら、入り口近くのモニュメント付近まで歩いてきていた。
あと1時間半もすれば麗江のホテルへ帰り、皆さんと食事が始まる。
はじめは窮屈だったが、皆それぞれの性格等が徐々に
分かってくると、その人達に使う言葉もそれなりに分かってきた。

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集合場所まできた。まだ40分以上時間が残っており、
地元の人に本屋さんの場所を聞いて、旅行の本を買いに
行く事にした。既に3人の親子が待っていたので、
その事を伝えて本屋に向った。
迷子にならないでという声が後から聞こえた。

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麗江のホテルへ着き、荷物を置き、束河古鎮や麗江古城へ
行く事となり、予定していた玉龍雪山行きは予定を
変更して次の日となった。

画像は実力酒店の外観。ネット設備は普通だったが
シャワーのお湯が早くに出なくなった。

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そしてホテル近くの七星街と書かれた鳥居を
画像に収めた。過橋米線が食べたいと
聞いてみたが、麗江は本場ではないので、
余り美味しくないと思うと言われ、米線を食べるのは
昆明へ帰ってからにしようと考えを改めた。

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私が外の画像を納めている間に大部分の中国人達は
チェックインを終えていたが、北京から来た1家族が
私を待っていてくれ、「ここだよ!早く来なさい」と
手招きしてくれた。このご主人は日系企業に
勤めているわりに日本語がダメだった。

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そしてふと見上げた天井からは豪華な
シャンデリアが、皆が見る中パチリ。

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慌ただしく荷物をホテルに置き、観光バスに飛び乗ったが、
3人の中国人家族が居るだけで、他の中国人は
まだ来てないので、出発時間を確認したが
間違ってはいなかった。こんな事ならホテルの
ネットの調子を確認すればよかったと
後悔もしたりしているうちに、
ガヤガヤと言いながら乗ってきた。

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バスがはじめに着いたのが、束河古鎮だった。
入口のアーチには東巴(dong1ba1)文字が書かれてあった。
このトンバ文字は象形文字の事である。

この画像は喫茶店の看板で、客棧(ke4zhan4)が
家のマークで表現。この客棧(ke4zhan4)とは
宿屋・木賃宿の意味で麗江古城で沢山出てくる。

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バスを降りる時には時間を確認するのであるが、
この時に限って集合時間を聞くのを忘れた。
他の中国人に聞いたが、何も言ってなかったですね。
困った事になったなとも思いながら時間を
無駄にしたくなくバスを降りた。

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世界遺産として認定された麗江へはこの時点まだ訪れていない。
予定を変更したからであった。ツアー客は私が写真に
熱中している間に先に行ってしまったため、
残された私は束河古鎮の中を一人自由気ままに散策した。

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束河古鎮の路地を通り抜けると広場へ出た。
そこでは踊りの練習をしていた。

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那西族の婦人会といったところだろうか。
若い人は居なかった。記念撮影。

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束河古鎮の路地脇に水路があり、その先を見ると
水車が見えてきたので近づき撮った画像。
水車は日本でも1960頃まで使われていたような記憶がある。
水を汲み上げたり、臼に入れた穀物を杵でつくための
電力を供給するために水車で発電させていた。
ここでも今では殆んど使われてない。

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束河古鎮は今も昔の麗江の面影を残していると
いうことではあるが、ここも以前見た写真より
観光地化が進んでいるような気がした。

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鳥居風の建造物もそうであるが、束河古鎮に限らず
中国のどこの建物にもこのような鳥居風建造物が
作られている。中国語で牌坊(pai2fang1)という。

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束河古鎮の四方聴音と貼り出したこの街の公民館前で
踊っていた人達に全員集合と声を掛け、撮った画像。
ここにも若い人は居なかった。

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四方聴音の前の広場にて踊りの練習をしている最中だった。

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那西族の後姿を撮影。この民族服にも意味があると思うが
説明を聞く時間もなく、ただ画像を収めるのに必至であった。
バスを降りる時に集合時間を聞き漏らし、また一人での
行動の為、駆け足で見てまわった。

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束河古鎮に住むナシ族のご婦人方が手に赤い扇子を
持ちダンスの練習をしていた。皆さん活き活きとして、
とても楽しそうな雰囲気がしました。

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納西(ナシ)族の先輩たちも同じ踊りを踊ってきたのか、
一生懸命稽古をつけてました。ラジカセから流れる
軽快な音楽に乗って踊ってました。

最後に皆さんの決まったポーズを画像に取り込みました。
5人ほど私を取り込んだ後で先ほど撮影した画像を
見せて下さいと皆さんも満足なご様子でした。

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